citta' di colore

“The Power of Landscape & Color”

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- | - | -
<< カラコ1級合格データ | “過去が咲いている今 未来の蕾で一杯な今” 〜「手考足思」〜 >>

手考足思 〜『蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ』から〜

『蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ』を読みました。

この中に掲載されている「手考足思」。

自分なりに、少し考えてみました。







河井寛次郎の随筆や対談集も掲載されている
『蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ』には、
「手考足思」の中に出てくるフレーズについて、
解説というか、説明するかのような内容が
掲載されていました。

というのも、「手考足思」が最初に掲載されたのは、
昭和38年12月号の「民藝」ですが、
河井寛次郎が昭和41年に76歳で永眠されたことを踏まえると、
「手考足思」は、
河井寛次郎の価値観というか、生き方というか、
うまく説明できないですが、
河井寛次郎そのものを書いた詩ではないかと、
思いました。

つまり、一つの創作された詩という作品、ではなく、
この「手考足思」は、晩年ということもあり、
河井寛次郎の集大成、ではないかと。
ですから、随筆や対談集には、
集大成である「手考足思」を読み解くヒントが、
随所に散りばめられている。
そう思いました。

私は、『蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ』を読む前は、
「手考足思」とは、それ自体が一つの考え方、
と思っていました。
だから、「手で考え足で思う」という定義のようなものが、
解説してあるのだと思っていました。

ところが、そうではないのではないかと。
「手考足思」とは、河井寛次郎の生き方や価値観を、
詩の形式により、全てではないでしょうが、
主なものをコンパクトにまとめたもの。
そんな気がしています。

「手考足思」の詩を読むことで、簡単ではありますが、
河井寛次郎の考え方等を理解できるようになり、
その考え方をネーミングしたものが、
「手考足思」というタイトルではないのかと。

あくまでも、これは『蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ』を読んで、
私が感じたことにすぎません。
間違っていたら、すみません(苦笑)。

ということで、次回、その感じた内容を、
アップしてみたいと思います。



art | comments(0) | trackbacks(0)

スポンサーサイト

- | - | -

COMMENTS

COMMENT FORM




 

 

TRACKBACK

Trackback url: