citta' di colore

“The Power of Landscape & Color”

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“ともに生きる”

東日本大震災の被災者の方に限らず、
天災や人災等の被害者の方に対して、
どのように対応していくことが、いいのか。
いつも悩んでしまう。
それは、自分自身が、そのような目に遭っていないからである。

自分自身が遭遇したことが無いからと言って、
このまま何もしない、考えない、というのでは、
気持ちが落ち着かないということも、
また事実である。
だから、いつも悩んでしまうのである。

3月19日付の朝日新聞に、これに関連するテーマで、
映画監督の山田洋次さんのインタビューが掲載されていました。

参考までに、ご紹介します。






東日本大震災で、大きな悲劇の中にいる人たちに、
僕が何を伝えたらいいのか分かりません。
家を失い寒風にさらされている人に、海に襲われて水の中で果てた人に、
東京の家の中から何かを言うことなんて……とてもできませんよ。


こんな正直な感想から、始まっています。

こんな時、自分たちに何ができるのかという声をよく聞きます。
それも大事だけど、被災した人たちの悲しみや苦しみを、
僕たちはどれくらい想像できるのか。
そのことがとても大事だと思うのです。
現地の人たちの心の中をどれくらいイメージできるのか、
自分に問いかけ、悩む。
そこから何かが学び取れるのではないでしょうか。


被災者のことをイメージすることは、
私たちは普段していると思いますが、
しかしながら、そのことを“無駄なこと”と
私たちは思いがちだと思う。
イメージするだけでは、ダメなんだと。
でも、山田監督は、そのイメージすることにも意味があるのだと、
教えてくれています。

イメージした後に、私たちにできることを教えてくれています。

もう一つ大事なのは、この大災害に、僕たちの国の政府がどう対応するのか、
きちんと監視してゆくことです。
原子力発電所の問題などで、きちんと情報が伝わってこないことが腹立たしいですが、
そういうことも含め、国民として政府の動きをよく見ていて、
問題ありと判断した時は、きちんと抗議の声をあげる。
そうすることが、被災者への応援になると思います。


大震災に対する政府の対応。
自衛隊の派遣人数が、最初はたった2万人など、
不手際が多いところですが、
最たるものは、やはり原発問題ですね。
これについては、後日記事にしますが、
山田監督も、このように政府を監視し、
被災者の代わりに政府をコントロールしていくことの重要性について、
教えてくれています。

こんな時、寅さんなら何と言うだろう、どう行動するだろう――と考えます。

阪神大震災の後、神戸市の長田地区で映画を撮りました。
焼け出された人たちから「寅さんに来てほしい」という声があがったのです。
僕は、あんな無責任な男の映画を被災地で撮るなんて、
とんでもないことだと思い、最初はお断りしました。
でも、訪ねてきてくれた長田の人たちが、口々に、こうおっしゃるのです。

「私たちが今ほしいのは、同情ではない。
 頑張れという応援でも、しっかりしろという叱咤(しった)でもありません。
 そばにいて一緒に泣いてくれる、そして時々おもしろいことを言って笑わせてくれる、
 そういう人です。だから寅さんに来てほしいのです」


寅さんのような男が、そばにいることが何かの慰めになるのならば。
そう考え直して、撮影に向かいました。


被災者の方を勇気付ける、励ます方法には、
種々あると思います。
難しいのは、その方法や程度。
被災者個人の方の心の中まで見えないので、
本当に被災者の方に役に立っているのか、
迷惑になっているのか、わからない。

この“勇気付ける”とか、“励ます”とかは、
いずれも“してあげる”という目線に感じる。
強者が弱者に対して“施す”というように。

長田の人たちの意見は、そうではなく、
“ともに生きる”
という目線のように感じた。
被災者も非被災者も、
同じ時間、同じ場所で、
お互いに向き合ってコミュニケートする。

これこそ、精神面のケアで最も必要とされていることではないかと、
この記事を見て思った次第。

前回の記事でご紹介した「You'll never walk alone」も、
選手とサポーターが、ともにファイトする、
という意味で、サポーターが歌うものなのです。
単に、選手を励ましたり、応援しているわけではないのです。

人間は、孤独を恐れます。
孤独ほど、心に寂しさを生むものはないと思っています。
心が寂しくなると、生きる希望がわいてきません。
自暴自棄になってしまうのです。
生きる希望がわいてこない人に、
いくら応援しても無駄なことでしょう。

まずは、“ともに生きる”ことで、
生きる希望がわいてきて、
その後、的確な支援をしていくことになるのでしょう。

あの焼け跡であった出来事を思うと、撮影していて、僕らはとてもつらかった。
でも、長田の人たちはとても温かかった。
ここで助け合い、支え合って生き抜いてきた人たちです。

被災地とはまったく比較にならない苦労ですが、
関東地方ではいま停電が起き、通勤電車には長蛇の列ができています。
大勢の人が、愚痴も文句も胸に納めて、整然と、黙々と行動しています
遠くで厳しい現実に耐えているたくさんの人たちのことが、
頭の中にあるからではないでしょうか。

貧弱な想像力を懸命に働かせて、被災地の人たちを思い続けたい。
そうすることでつながっていたい。今はただ、そう思っています。



被災者の方が望むものや、
被災者の方に対する支援については、
様々なものがあることは、承知しているつもりです。

これらについて、どのようにするべきか、
どのよう考えるべきか、
ネット上なんかで、様々な議論が沸き起こっています。

正解は無い、ということではなく、
どれも正解なのだと思います。
被災者の方のことを想っての、主張や意見の数だけ、
正解があるということになるのかもしれません。

大事なことは、正解を求めることではなく、
関心を持ち続けること。
被災者の方が、孤独を感じることなく、
この国において、ともに生きているんだということを、
被災者の方が、感じ続けられるようにしていくこと。
募金をしたり、救援物資を送ったり、という
“一時的な関心”にとどまることなく、
復興を成し遂げられる日が来るまで、
関心を持ち続けること。

そのためには、“持続可能な”支援をしていく必要があります。
このブログでも話題にする“サスティナビリティ”です。
近年の世界政治のトレンドである“将来にわたって持続可能な社会”を、
如何に形成していくか。
後世に受け継ぐことができるように、
現世代が消費しつくすことが無いように。
被災者支援も、そのような観点を持って、
長期的な視野に立ち、行っていく必要があります。
ですから、無理をして行う支援は、NGなのです。

この持続可能な支援の源は、関心を持ち続けること。
そのためには、“ともに生きる”ということを実践する必要がある。
そう思いました。



5年半前に、災害復旧ボランティアをした日の夜に書いた記事
このような感想を残していました。

家に帰り、地元のローカルニュース番組を見た。
小学校が壊滅的な被害にあった子供たちへのインタビュー。
落ち込んでいる大人を尻目に、
みんな、前向きだった。子供は偉い。

そして今日、僕が復旧作業を手伝った家に住むお婆ちゃん。
被災を気遣う若輩者の僕に対し、
話の中に冗談を交えながら、これまでの人生の苦労話を聞かせていただいた。
途中、既に亡くなられているおじいちゃんとの思い出話を間に挟みながら。


このときの私は、復旧作業をたった1日ですが、手伝ったわけですが、
同時に、作業対象の家のお婆ちゃんと、
長い時間会話もしていました。
あの時には、もっと働かないと申し訳ないという気持ちだったのですが、
今では、あの会話はとても重要だったのだと思います。

この記事の本文の最後は、次のように書いていました。

災害は絶対になくならない。
今後も絶対に、どこかで生じる。
しかし、気持ちが一つであれば、必ず乗り越えていける。

今日だけは、そう信じたい。



フランスの作家サンテグジュペリの名言にもあります。

愛するということは、
我々がお互いに顔を見つめ合うことではなくて、
みんなが同じ一つの方向を見つめることである。


 

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